まずは今に至る経緯から書かねばならない。
遡ること先々月、仕事一つ見つけられない僕は、じり貧困窮の末に、実家へと出戻ることになった。これが、現状に続く最初の過ちだったのだ。


元々、僕と両親はそりが合わなかった。合わないという言葉の持つ意味以上に、半ば嫌悪に近い感覚といった方がより正しいだろう。
僕としては、干渉されさえしなければ、ここまで関係が拗れることもなかったと思うのだが、両親はすすんでありとあらゆる手管を使い、わざわざ僕の嫌う方法で、ことあるごとに干渉してきた。家事に始まり、家業である仕事、余暇、服用している薬に至るまで、およそ考え及ぶ限りの私生活事に嘴をはさみ、その尽くが利己的――我が子を道具か、さもなくば老後の為の先行投資とでも考えているかのような暴虐であった。
家を出る直前の話になるが、ひとつ例を挙げてみよう。
よかれと思って鼻炎用の抗アレルギー剤を父に分けてやったことがあったのだが、返ってきたのは礼ではなく「効かないからもっと強いのを貰って来い」という命令。お前に貰った抗アレルギー剤は効かないから、僕の名義で、自分の為に処方を替えて、あまつさえ自分の分を余分に貰って来い、そうのたまうのだ。処方箋の必要な薬であるにも関わらず。自分で行くのがただ面倒だからというだけで。医師の指導が必要だから処方薬なのであって市販薬とは違う、アレルギーは体質なのだから薬の合う合わないがある、だから処方を変えると僕に合わなくなる可能性がある、などと通り一辺倒の説明をしても、「それはお前の理屈だろう。お前は黙って薬を貰って来ればいいのだ」と恫喝が始まる。なににつけても万事この調子なのだ。近しい人が、「あれほど帰りたがらなかったのに」と驚く程に、僕が実家とそれに連なるものを嫌悪していた一端がお分かり頂けると思う。
僕の「話の通じない相手」に対する冷徹な態度は、ひとえにこの生物相手に培われたといっていい。