だから何故放っておくと月記になるのだ。


ということでまずは近況から。昨今は連続二十四時間だとか、コンスタントに六時間超のネットラジオをやってみたり某所で固定ハンドルトリップ添えをやらかしてみたりとなんというか良い言い方をすれば「活動の範囲が広がり」、悪い言い方ならば「見境がなくなってきた」という風な見方もできる自分でも理解不能な行動をし始めている。
この辺の絡みで先日まで近年では最悪クラスの頭の不具合が発生して大変具合が悪かった。今は落ち着いたが、どうにも「以前」の自分とはまた違う形に変化したらしい。自分のすること、なすこと、いうこと全てが予想不能になってきている。今までの自己分析が通用しない。友人の弁では「いつも通り」らしいがこの自覚している違和感は消えない。すり合わせが終わっていないのか、それとも何処かしらネジでも飛んでしまったのか。


生活の方は一応安定はしていそうではあるのだが未だ警戒域。もう少しどうにかせねばならない。だのにVCI-100を買ってしまった。やっぱりどこかおかしくなっている。しかしこれを弄り回すのが面白すぎてそんなことはどうでもよいと囁く俺がいる。


そうそう、ここに至って重大な心境の変化があった。もうずっと自分を騙していたのかもしれないけれど、恋の病それそのものは去ってしまったらしい。振り返ってみると、あの頃の視点とはまた違う視点での関係性を保っている様だ。今の僕があるのはあの方のお陰だし、今生きていることもやっぱりあの方のお陰であるのだろうけれど、いつの間にかあのお方なくしても一人ぽつねんと立てる事に気がついてしまった。ある種の依存だったのかもしれないし、別な言い方をすれば存在証明であった筈のそれをなくして、では僕には何が残っているのか。何の上に立っているのか。


二十年以上生きて漸く気付いた。ただ空虚があるだけじゃないか。