ガンソード ~夢見る頃をすぎても~ (角川スニーカー文庫)読了。うーん。天野思うんだけど、ガンソードってサイッコゥ! だからまだ観てない人はここから先をなるべく読まないでいただけますか。


この小説、脚本を全編手がけた倉田氏の書き下ろしだけあって、アニメ本編同様とても面白いものになっている。本編を先に観たからこそ「ああそれで」と納得できる伏線も随所にあったりしてとても気持ちが良い。しかし、だ。この小説はとても面白い。面白いのだが……どうにも僕は「余計なのではないか」と思ってしまう。こんな事なら、多少の面白さや、登場人物の人となりがより深く掘り下げられた事による納得の気持ち良さを犠牲にして、安直に本編をそのままノベライズ化した方がよかった。


まず一章。ウェンディとミハエルの幼少の頃の話である。彼ら兄妹は本編でもとても絆の強い様に描かれているが、それの原点とも言うべきエピソード。ミハエルは妹ウェンディを想い、ウェンディは兄ミハエルを慕っている。ここまではいい。それは本編でも知れたことだ。しかし、ミハエルのウェンディを守る為の苦労や、エバーグリーンでの生活劇、友人や周囲の人との関係を描かれた上で本編を思い出すと、ミハエルの馬鹿は一体何なんだ、と思ってしまう。あんなに妹を想い、紳士であり兄であろうとし、友人と街を襲う暴徒に一緒になって立ち向かった彼が、鉤爪のような人格破綻済みの、「理想」だとか「夢」なんて言葉で誤魔化した「わがまま」を振りまいて人を殺して回るただのイカレ殺人鬼に心酔するのか尚更意味不明になってしまった。巻末で著者が「ミハエルもウェンディも、変な人に惹かれる素質があった」とか仰っておられるが、これじゃあ真面目に「ファサリナに色仕掛けでメロメロキューンにされちゃっただけなんじゃないの」と思ってしまう。まだ本編の「大仰な言葉を信じたがるミハエル」の姿のままの方が納得できた。あんな思慮深い、自分を持った「兄」が転向する筈がない。なんとも余計である。


そして二章。カルメンがどうして街を飛び出し、そして「情報屋」を始めたのか。本編に至るまでのエピソードなのであるが、これがまた釈然としない。どの辺が気に掛かるかは実際に読まれた人には分かるように書く。あそこまであけすけに描かなくてもいいじゃないか! 初めてだったなんて! 本編じゃ重要な脇役であり、情報屋としての手腕を存分に発揮していたのに、小説に書かれていた「古来からずっと続けられていて、今でも通用する驚くべき情報を得る手段」が一度も使われず、ここにだけ描かれるのもなんとも変な話だ。「自主規制」なんて冗談もやってくれたし、ファサリナのアレだって何と言うか馬鹿だったから馬鹿な話に馴染んでいた訳で、感傷的かつ大真面目にそういう事を急にされると興ざめと言うものだ。いや、もっと端的に言おう。オーシャンが、気に食わないからだ!!


最後に三章。これはね、本作中もっとも面白く読めた章です。一行に一回はネタを混ぜ込む鬼構成。でもね。バーボンママに迫られてツボ押されたくだり。「改造人間だからだ!」ここだけは頂けない。本編最終話の「エレナアアアア!」もウーとの対決の前の「愛してる、お前に夢中だ!」も何もかもぶち壊しです。そのくだりの後にちゃんとフォローは入っているが、そこだけはヴァンらしくエレナを先に出してもらいたかった。
人が最も抗い難いものの一つに本能がある。いい女に迫られて、触られて、断ったり拒否出来る男なんてのはそうそういない。でもヴァンはそうだと思っていた。「(俺はエレナに貞操を捧げて一生)童貞だから」と一蹴してくれると思っていた。それが、変に理屈つけて突っぱねるなんてどうして想像できよう。所詮彼も話の中ではあれ「人間」という事だろうか? やはり、釈然としない。


話としてはとても良く出来ているし、随所に本編との繋がりや、各々のキャラクターの人格が色濃く表れていて、本編だけでは物足りないような人には最高の小説だと言えるのかもしれない。キャラクター一人ひとりの人間らしさや土臭さ、そういうものが好きな人は楽しめるだろう。でも僕が物語りに求めるのは虚構だ。ヴァンには馬鹿で童貞を守るヒーローでいて欲しかったし、ミハエルは大人への、理想への憧憬で動いていたと思いたかった。カルメンだって、いつも余裕を持った悪女の見本であってよかったはずだ。でも彼らはヒーローであることや、純粋な悪役、本心を誤魔化して翻弄する女狐であることを忘れて、ただの人間へと変わってしまった。この小説のお陰で。


この小説を手放しでお勧めできるか、と言えば答えはノー。しかし面白いかと訊かれれば答えはイエス。僕自身でもまだあまり整理がついていない。でも一つ言える事は、もし仮にこの小説がただのノベライズで、本編を文字に落とし込んだだけのものだったとしたら、本編と一緒にいつか記憶の彼方に忘れ去られてしまっただろうという事。彼らがそれぞれの「役」であることをやめ、一個の「人間」として僕の中に息づいている限り、僕は彼らや彼らの物語を忘れることはないだろう。