ヒトは静的なパーツの集まりでなく、流動する分子のひと時の澱みに過ぎない。すべての始まりの瞬間から生まれたエネルギー、物質らの、力学的過程が生み出す揺らぎがヒトである。同様に、揺らぎが生み出す揺らぎ――ヒトという系、その中での揺らぎ――つまりメタ揺らぎとでも呼ぶべきものが精神としてヒトに備わり、大本の揺らぎの拡散消失、死と呼ばれる「存在の終わり」と同時にメタ揺らぎも消失する。ここにデウス・エクス・マキナの介在はなく、ただ現象に次ぐ現象、その過程でしかありえない。全ての系は整うことなく、例え一握りの整然系が「偶然にも」生まれえたとしても、あらゆる複雑系とそのカオスとが飲み込み、全ての存在、意思、物質は、奪い奪われ、与え与えられ、費やし費やされ、その一挙手一投足が緩やかなる熱の拡散をもたらし、何もかもを均一なる地平面へと繋ぎ止める。
あらゆる力学法則は、その法則の果てにそれ自体が失われ、そうして我々であったもの、我々でなかったものらは解放される。新たな舞台へ。新たなダンスへ。新たなパラダイスシフトを導く為だけに。