気付くもどかしさ。気付けぬ悲しさ。大事に思えば思うほど、言葉がどこにも見当たらなくなる。些細な普通の会話でさえ、一つの恐怖に支配されているように感じるのだ。今までに誰かに何かを伝えることが、これほど怖いことなどなかった。これほど恐ろしいと思ったことなどなかった。投げかけた言葉を相手がどう受け取るか、今までは問題にしないことで解決できた。「何をどう伝えようと分かる人は分かるし分からぬ人には分からぬ」と積極的に諦めるのは容易だった。それで別段伝える努力を怠った訳ではないし、むしろそれを念頭に置くからこそ、僕なりの伝え方を努めて徹底してきたはずだった。それが例えあえて誤解を招くような言葉であろうと、それは「伝わりやすく」する為のものであったし、そこで踏み誤る者は多かれ少なかれ、どう取り繕っても僕とは決別するしかない相手だったと今でも断言できる。
しかし、心から「離れたくない」と、そう思う相手にはどう接すれば良いのか。ふとした軽口ですら傷つきかねないとするなら、何を僕はこのいままで他人を排し傷付けることしか選ばなかった口でのたまえというのか。覚悟があると言ってくれた。そう簡単に傷つきはしないとも。といって、「そうなのか」と考えてしまえる僕でもない……のは今さらいうまでもなく。
信用していない、とは違う。僕はいつだって信じている。覚悟があり、知っていてくれるからこそなのだ。僕は、そういうものに甘んじたくない。「大丈夫だ」と思っていてくれるからこそ、僕はその思いを裏切ってはならない。彼女と、一緒に歩きたいのだ。だから僕は彼女の隣で立てるようにならねばならない。故に僕は考えねばならない。そして伝えなければならない。


何も悪くなんかないと伝えたい。何の罪もないのだと。そして何も恐れることも、悲しがることもないと。それの全てが道筋だったのだと。
地球の裏側で蝶が羽ばたくようにして、過去と悪夢とが、軌道と軌跡とを描いて、今ここに、僕とあなたに至るのだと。
だから。その先の軌道と軌跡とは、今と夢とで描かれる。こんなことを言ったら、あなたは「女は現実主義だから」と笑い呆れるかもしれない。
ならば。僕はずっと夢を語ろう。先のことばかり考えよう。僕はあなたに今を貰った。そんなあなたが、過去を見つめるのが、僕は悲しい。


もう少し簡単に、端的に表現できる言葉はある。でもそれを伝えるには、まだ僕の自信だとかその他色々が足りない。あるいはそんなことは言えない方がいいのかも知れない。けれども。僕がそうであるように、彼女もまた僕を支えに、力に、してくれたなら。
彼女にも譲れないものや、僕のように「そうせざるを得ない」ことがあるのだろうとも思う。それならそれでいいのだ。ただ、知っておいて欲しいのは、その人のためならばどれだけだって待ち、いつだって手はおろか体まるごと差し出せる、そんなはた迷惑極まりないでくのぼうがいるのだということ。あなたが僕にそうしてくれたように、僕もあなたにとってそうでありたいこと。