今夜僕は伝説を見た。
それは高き頂を覇する為の飽くなき挑戦のようであり、黎明の朝露のごとく滴り落ちた天啓の恵みのようであり、気流すらをも我が物と言わんばかりの渡り鳥のしなやかな翼、その力強さを感じたかと思えば、地に伏し今にも事切れそうな老いた獣の咆哮のようでもあった。そんな散り散りの、何もかもが混沌とした印象の他に明らかなことは、GONZOは本当に狂ったか、もしくはこれで終わらせるつもりなのだろうということだ。


具体的に云えば今から二時間半前になる。衝撃的なオープニングとその直後の砕けすぎた解説、そして畳み掛けるように繰り出される寸劇の数々と、ネトゲ実況3のマスターオブエピック本スレッドに常駐していなければ伝わらないギャグのオンパレード。阿鼻叫喚に包まれる本スレと実況チャンネル。あるものは抱腹絶倒し、あるものは冷や汗を流し、あるものは涙して、あるものは静かに去ってゆく狂騒の中で唯一つ、共通認識として得られたものは、「良い意味でも悪い意味でも」空前にして絶後であり、これは長らく語り草になるべき事柄である、ということだった。
何しろ第一声がゲーム内のNPCが使う設定上の挨拶である。元々がそういうゲームであるだけに、それはまだいい。にしても、スレ住民にしか通じない略称、俗称、通称、蔑称に加えて「中の人」。中の人などいない、と液晶ないしブラウン管に叫んだ視聴者が一体いかほどいただろうか。少なくとも関東圏に一人いた事だけは自己申告をしておかねばなるまい。
細かい内容は放送時期の関係もあり伏せるが、ともかく出オチで衝撃を与えるどころか全編オチだったのである。正に垂直落下式アニメーション。鉄筋がどうとか言っている場合ではない。ジャパニメーションの夜明けがやってきた。これを楽しむにはもう人として現実社会で生きる為に必要なある種の尊厳をごっそりとこぼし落すしかない。裏を返せば「そういう輩」がこんなものを作ったということになる。全く見上げた馬鹿野郎ども*1ではないか。危うく愛してしまうところだった。


そんな訳で、僕はまた来週もMaster of Epic The AnimationAgeを観なくてはならない呪いをかけられてしまった。この呪いを解けるキスがしたくなっちゃう猫耳モードなコグ姉さんはどこの喫茶店に行けば会えますか。

*1:GONZOとは地中海の方の言葉で"馬鹿"の意