僕が外に出たがらない理由に、人を見るのが嫌という点がある。
例えば。夜中の22時頃、制服を着て、足枷のように鞄を背負った女子高生と思しき少女が店に入ってきた。僕は敏感に音に反応して、営業スマイルで「いらっしゃいませ、こんばんは!」と言い放ち、一目見やっただけで意にも介さないふりをする。やがて少女はスナック菓子一袋と、紙パックの清涼飲料水を一点ずつ買い、来た時と同じ様に、重りでも引きずるかのような足取りで出て行った。
一応先に断っておくが、これは別に女子高生を対象に特定的に発せられる危険な思考だとかではなくて、僕は会う人、目に留まる人、行き過ぎる人全てに、瞬間的に後述するような思索をしてしまう癖がある。あくまで今日最も印象に残ったから例として挙げたまでで、同じ時間帯にこの寒空の下凍えながら店に入ってきて、ラクトアイス2点を買って震えながら出て行った中年男性の話でも良いが、これは余りにも夢も希望もなさ過ぎるのであえて選ばなかっただけだ。
ともかく、僕は彼女を一瞬感知し、そしてその一瞬間後には何の興味もない振りをして雑務をしている傍ら、こういう事を考えている。
彼女は恐らく塾か予備校通いの高校生。クリアケースの中に物理の参考書が読み取れた気がする。理数系志望だろうか? それにしてもとても浮かない顔をしていた。模試の結果が悪いのだろうか。それとも、以前の僕のように先の見えない同じ事の繰り返しな日々に辟易しているのだろうか。あのスナック菓子を何故買ったのだろう? 好きなのか、ただ小腹が空いたのか、それとも衝動的に何か口に入れたくなったのか。そもそも意思すらなかったのかもしれない。ただ作業的に、適当に目に付くものを手にとって買い、食べるだけなのかもしれない。いくら安物のスナック菓子だって、それなりに美味しいものなのに、それにすら気付かずにただ衝動的に浪費をするだけ。それはきっと僕のこんな日々と同じで――


時間にして僅か2、3分の間の出来事である。想像できるだろうか? 酷い妄想癖と言われても否定のしようはないが、別段これを根拠にどうにかしようという訳じゃない。ただ見やり、空想し、別れて、それっきり消えうせる。だけれどもその度いちいち、僕自身が勝手に空想した誰かの生きる事という重さがのしかかる。
いっそ目の前のそれをモノだと割り切れればそんな気苦労はないのだろうけど、そう考えて上手く行ったためしはない。何故なら、無機物にすら感情を見出して空想するのも常だからだ。仮にずっとそうしたところで、多少なりとも楽にはなるだろうが、比較の問題であって根本的な解決にはならない。もっと言えば、人をモノ扱いする事に慣れきった何処かの誰かさんたちのようになってしまうのが恐ろしい。


ずっと誰も居ないところに行きたいと願っているけれど、この地上はどこも人だらけで、この先もずっとそうに違いない。上手い事他人と付き合える人は凄いと思うけれど、とても羨ましいとは思えないのも本音だ。だって空虚と隣り合わせで自然に薄ら笑いを浮かべられるなんて、馬鹿げてる。それとも彼らは自分も空虚だと知って嘲りあっているのだろうか。いくら空想して考えたところで本当のところは決して分かりやしない。
今日も僕は必死に笑顔でいらっしゃいませを言う。そして時々「こんにちは」と「こんばんは」を間違える。その時の苦笑だけは、自分に向けられた、みっともない本物なのだけど。