ふと思うのだけど、天動説と地動説、某教圏じゃ人死にまで出るほどの、それこそ地を揺るがす大発見だったりするのだけど、これってもしかしてただの観点の違いだったのではないだろうか。
某教じゃあ、この地球こそが神のつくりたもうた神の子の生まれし土地ってことで天動説、「ここ*1が中心じゃい」ってな強硬理論振りかざし、方や学者様やらは天体を観測してその星の動きから「ここも動いてるんじゃね?」と言う地動説を唱えた訳だけれど、ここでちょっと想像力を働かせてみる。
地球はぐるぐると回りながら太陽を中心に回転し、その太陽は太陽系と一緒に複雑な重力場の絡みで円運動と回転とをしつつぐるりぐるりと回っていて、その外から眺めるとまたどこかの系やらとの関係でぐるぐると回っているそうだ。またその外には銀河、銀河団……と際限がないわけだけども、ここで思い返してみよう。天動説と地動説の違いは何かと言えば単純な話で、「どこを回転の中心とするか」という事だ。某教の利己主義的な「こここそ枢軸」は間違ってるよ、と太陽を中心に動いている天体の動きを示して「地動説」と言ったまではいいものの、しかしその外から見るとまた別の星、別の座標を中心にぐるりぐるりと回っているのである。これではつまるところ宇宙の中心を決定できなければ地動説とは言えないし、その逆を返せば天動説だって、地球を中心とした他天体の動きを脳内シミュレートしてみれば、まあないとは言えない。
と言うわけでwikipediaで調べてみれば、双方は対立する概念ではなくて、ただの解釈の違いだ、ということだそうだ。しかし、それを元に人が人を迫害し、いがみ合い、対立すると言うのも何ともおかしな話である。当時にしてみれば今ほどの科学が無かったにしても、「こっちも動いてるんだ」まで地表での観測で理解出来たのなら、その位のことにも気付けそうなものである。
人の思い込みとはかくも恐ろしいものか。動くものを動かないとし、動かないものを動くとするのも人次第。ところで、つい今しがた冷凍パスタをレンジでチン、シンクの端に皿を置いて内袋を開封しようとしたら見事に皿が滑ってパスタを床にぶちまけてしまったのだけれど、僕はここに皿動説を唱えたいと思う。宇宙の中心はパスタだ。

*1:地球