今見ている光景は何かの間違いなのだと思いたかった。
左右に四つずつ、真っ白い壁に接するようにベッドが配置されている。その上には例外なく齢八十は超えた老人達が、ただ一人を除いて各々の姿勢で乗っかっていた。
入り口に立った僕から向かって右側の一番手前のベッドの横、パイプ椅子にもたれて排水溝に粘着質の液を流したような呼吸を続けている老婆。その目の前には、同じ様にパイプ椅子に座り、しきりに話しかけ、手をさすり、少しでも痛みを受け取ろうとでもするかのような、ほとんど同年代に見える見舞いとおぼしき老婆。
そのベッドの一つ奥では老婆が身を起して、ベッドに据えつけられたテーブルの上、テレビの画面をただずっと虚ろな顔で眺めている。そのちょうど反対側では、老人がまるで顎を外したように口を開き、ときおり「うう」とも「ああ」ともつかない呻きを漏らしている。目は開いているのか閉じているのかすら定かではない。
その部屋にいる人間は、皆そのどれかに当てはまらなくてはならないかのように同じだった。


入り口で立ち尽くしている僕に、左手から声がかかる。「あら、いらっしゃい」この病室でただ一人自分の足で立っている中年女性。セミロングのソバージュの栗毛、ベージュのセーターには見舞いである事を示すバッヂが安全ピンで留められている。そして中年女性の示し合わせであろうか、ごてごてと装飾のついたフレーム、薄い色混じりの二枚のレンズ。叔母だ。ベッドの脇に寄り添い、ベッドの上に横になっている曾祖母に僕が来たことを大声でわめいている。「どうも」可能な限りの笑顔で僕は答えた。病人を前に笑顔。これは正しいのだろうか? もっと痛ましい顔をした方が場にそぐうのかもしれないが、もう遅いだろう。僕は曾祖母を見た。ベッドを少し起してもたれかかり、胸まで布団を引き上げ、両手に「手が冷えるから」と手袋をはめ、右耳に補聴器、左耳にはテレビに繋いだイヤホン。頬は若干肉が殺げてはいるが、老眼鏡の向こう側から覗き込む目はしっかりと僕を見据えている。もともと膝が悪かったが、自宅で転んだ拍子に大腿骨骨折。今はボルトがその脆い骨を繋ぎとめている。
「よくきたわねぇ」とたどたどしい舌で曾祖母が僕を招きいれた。そこでようやく僕は入り口に立ち尽くし、ただでさえ縦に長い体が通行の邪魔であったことに気付く。どうにか笑顔を崩さぬままベッドの脇に寄り、記憶にも残らない挨拶をした。
そっと部屋を見回す。小奇麗で、真っ白な壁にはよく分からない機器や管がぶら下がったパネルが埋め込まれ、枕元の棚には恐らく痰だとかを吸い取る為の吸引器具らしきものがどのベッドを見ても置かれていた。口を大きく開けた老人の横にだけは仰々しい機械が置かれている。天上から仕切り用のカーテンレールがぶら下がり、一番奥まったベッドだけは、両側ともカーテンが半分閉まっていた。
曾祖母に目を戻す。「おおきくなったねぇ」正月に会ったきりで、おまけに僕はもう成長期なんかとっくに過ぎている。大きくなれるはずもないのに、曾祖母は会う度に僕を大きく感じるらしい。「お加減は大丈夫ですか」ふとももに穴を開けられボルトをねじ込まれて大丈夫な筈はない。が、不思議と曾祖母の顔に苦痛の色はなかった。「全然痛くないのよ」そういうと曾祖母は深く数え切れないほどの皺が刻まれた顔を綻ばせた。その皺のどれかには、きっと五十余年前の戦争のことについても刻まれているのだろう。僕は一度も彼女にそのことを尋ねた事はなかった。

叔母のまくしたてる内容のない雑談に、無難に心がけた相槌を打ち、それに曾祖母が割ってはいる。それを一時間程やっているうちに、付き添いの交代に祖父がやってきた。「ようかあちゃん」陽気とも聞こえる声音で曾祖母に話しかける。定年も過ぎたというのに、定年退職した同窓生と会社を興して働いている、生来のワーカーホリック。短く刈られている頭頂部が寂しくなったごま塩頭に膝上丈のロングコート。ダブルのスーツ。襟元にはマフラーが垂れ下がっている。恰幅の良い祖父にはよく似合う格好。仕事帰りのようだ。このまま祖父は面会終了時間まで、自分の母親の面倒を看る。「それじゃあ、また来るから」言葉だけの挨拶を残して僕が行こうとすると、曾祖母が呼び止めた。「握手して欲しいって」不明瞭な発音を、長年同居している叔母が翻訳する。僕はまた笑顔に気を配りながら曾祖母の手をそっと握った。思いもがけない強さで握り返され驚くが、表情には出さないように努める。とても、あと数年で齢が三桁に届くとは思えない。
踵を返したついでに僕は部屋を見回す。付き添いのいないベッドが五つ。どちらが先になるかも分からないベッドが一つ。恐らく息子らしき男性が携帯電話を弄くっているベッドが一つ。見舞い一人と、付き添いが二人のベッドが、一つ。
僕は心がけて緩やかに、病室を後にした。


まるで人間の末路の見本市だ。看取られるもの、手を取り合うもの、見捨てられるもの、見守られるもの。どうしてあの人たちはそうまでして生きたいと望むのだろうか。管に繋がれベッドに横たわり自分の子程の歳の医者に体をあちこじ弄くりまわされる。貴腐老人とはよくいったものだ。ある日突然真っ黒な終りがやってくることはむしろ幸運であるのかもしれない。ほとんどの場合、緩やかに色彩を失い、永遠の灰色に交じり合ってしまうだけなのだから。