re: id:amesiki
大抵の人に、似たような事を言われます。曰く「遊べる」、「自堕落しても社会的に認められる」、「色んな経験が出来る」、「楽しい」。
だけれども、その殆どに僕が望むべき理由はなく、そして大学と言う場所にも特に魅力は感じないのです。行けば恐らく多くの事を見、知る事が出来るとは思いますが、その中に大学特有のものが一体どれほどあるでしょうか。一足先に大学に入った友人は、英語を「be動詞から学んだ」と言います。それはまあ、一年生と言うこともあってまだ基本を教えている最中なのでしょうけども、入試テストを受けさせられた上に中学レベルの復習とあっちゃあ、行く気も失せると言うもの。どこもそうである、と言うわけでは勿論ありませんが、結局は「同じ事」の繰り返しで、やはり何処まで行っても尽きる事のない疑念と不満足感に苛まれるのであれば、どうせなら自分の望むべく道でそうありたい、と言うものでして。
それと、根深い人間嫌いと言うのもあります。今の近しい友人達とはそうではありませんが、ともかく人と自分との間に、決定的な壁を置く。いつでも見限る準備をする。張り付かせた愛想笑いの下でこんな事を考えている上に、趣味が人間観察及び分析かつ内心での批評、と言うなかなかに嫌な奴でありまして、当然それらは常にフル活動している訳でありますから、即ち多大なエネルギーが割かれる訳で、つまり親しくない、またはなろうとしている人に対する人付き合いとか面倒くさくてたまらない。
こんな調子でお前は一体何処へ行くのだ、って話ですが、ともかく以上の理由で大学は御免被りたい。と言うか限りなく五年生とか六年生とかになる可能性が大きい。そうなったとしたら、それはそれで「のほほん」としているのでしょうけれど、それが手痛い「停滞」だと言うことは先の一年で十分痛感したところ。
つまり、寒い外気に触れるのが嫌でいつまでも露天風呂に浸かっている状態。しかしこのままだと、のぼせて参ってしまう。いい加減外に出なくてはならない。だけども大学は恐らく「外」ではない。そう思うわけです。
幸か不幸か、僕の行きたい道では特に「経歴」は見られない様ですから、全ては自身の腕を磨く以外に無い訳で、それならば如何様にでもやり方はある。
「道が広がる」、「潰しが利く」とは言われますが、道を狭めているのは果たしてどちらなのか、そもそも広い狭いがあるのか、と、つらつらと思うも、こんな状態で何かを成せ、と言うのも無理で、つまり大学へ行きたいか行きたくないかもそう言う観点から言えば「どうでもいい」の一言で済み、結局はなるようになっちまえと投げやり姿勢なのでした。結論に至るまでが長い。
そんな訳で、メリットデメリット以上に必要な意思が決定的に欠如している為に、こんな有様なのであります。いやはやなんとも。