意義のありそうなことはこちらに書く事にしました。

「定時」への偏見(
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定時制高校ってものに、思えば偏見、とまでは行かずとも、先入観のようなものはあった。
始まりは中学の頃だったと思う。同じクラスの、学校を休んでは遊びまわっているようなやつ*1が、出席日数や成績諸々の関係で、「定時を受ける」と言っていたのを、ふとしたきっかけで耳にした。
結局彼は落ちたようだったが、その時、ああ、「高校卒業」と言うネームバリューが欲しいと言うだけで、そこまで執着する人間も居るのだな、と、なんとなく思ったことを、つい数年前まで引きずっていた。
そんな先入観が払拭されたのは、僕が今の高校にうっかり*2合格してしまったすぐ後だった。
僕の高校は定時制も開校*3しており、大体全日制の生徒と入れ違いで、定時制の生徒達がやってくる。その為、何かの拍子に下校が遅れると、彼らが授業を受けている最中の教室の前を歩くことになる。
何が原因で遅れたかは忘れたが、何度か彼らの授業の風景を横目で見ながら下校することがあった。果たして僕が見た風景は、予想に反して*4酷く「真面目」なものだった。
髪を染めている、見るからに「ワル」そうな人、全日制でも見かけそうなごく普通の高校生らしい人、何らかの理由で昔に進学を断念した人なのか、明らかに若いとは言えない年齢の人などが、誰も彼も、真剣な眼差しで前に立つ教師と黒板を見つめていた。
その風景を見て、僕は恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちが沸きあがってきた。彼らは、「学びたいから」ここに来ているのだ。どういう理由があるかまでは知らないが、彼らはそれぞれ、自分が学びたいと知って学びに来ている。惰性で、毎日朝遅刻と知りながら、のんびりと自転車をこいで来ている僕とは大違いだ。
よくよく考えてみれば、今のご時世高校を出たからと言って、社会的地位だとかが大幅に変わるわけではない。確かに高卒が最低条件の進路はあるが、別に手段は「定時制高校」でなくとも良い訳だ。しかし、彼らはそれを選んだ。何故か?学びたいからに他ならない。
それに、こちらでも定時制の悪い話は一切聞かない*5。むしろ、定時制の生徒がカツアゲに遭っている、なんて話ばかりだ。
低学歴=犯罪者予備軍=治安の悪化だなんて図式を、「社会的にそこそこの地位にある人」が認めているとは、何とも素敵な国家じゃないか。
ゆとり教育とは何のためか。教育指導要領の改訂は何のためか。人は粘土でもなければ、国家の道具でもない。
教え育てると書いて教育、押し付けて型にはめるのは洗脳と言うものではないですかね。あ、洗脳されてりゃ分からんか。



とか書いたらニュース集める気概が失せました。
http://search.singingfish.com/mvc/search?query=Aphex+Twin&aw=1&duration=&av=av&fmt=&category=
みんなツクツクすればいいよ。

*1:と言っても、自分も同類だった

*2:受験日当日の朝までリネージュをやっていた

*3:この言葉で合ってるのだろうか

*4:どういう想像だったかはご想像に任せる

*5:教師が隠蔽している可能性もあるが