役所に行って、何になるだろう。ここ暫く国民の義務を果たした覚えはないし、そもそもこの市の市民でもない。前の市では、生活に困って食うも食わずや、仕事も探せないので補助して欲しいと頼みに行けば、カップ麺一つ渡されて「返せるあてがないと貸せないので、仕事を見つけてから来い」と追い返される始末。湯を沸かす電気すらないってのに。そんな役所に、何の期待が持てるだろう。
就職支援の民間業者だって扱うのは正社員、初任給が出るまでにかかる諸々の費用を借りれよう筈もない。スーツすらないのに、どだい無理だ。何より借りたお金がどういうものか知っている。返せばいいなんて問題ではなく、そんなお金を、僕なんかが、例え一時であろうと、使う事は許されるものじゃない。


お金はあらゆる意味で「楽」に交換されるものだ。住居、服飾、食物、移動、時間、場所、娯楽。
元来僕は貸すことはあっても、借りることだけは大嫌いだった。他人の血、汗、涙で、「楽」を買うようなものだ。僕に優しい誰かの血肉を売るようなものだ。
彼女は少しでも僕が惨めな思いをせずに済むならと、お金を貸し与えてくれた。それがどんな苦しみや辛さでもって稼がれたものか。知っているなんていうのもおこがましい。そんなものを、自業自得の不遇にあって、「楽」するために使わざるを得ない不甲斐なさ。最愛の人を切り売りするような罪悪感。
それでも、それがあがなえると、信じたから。そうなるよう、信じてくれていると、信じたから。