彼女は翌朝来てくれた。事情を話し、日雇いなどで食い繋いで再起を図る話にまとまる。穀潰しから住所不定無職に成り下がったのにもかかわらず、彼女は今までと同じく僕に接してくれた。やはり、昨日の夕べに話をしてから、彼女は僕の地元まで探しに来ていたらしい。もっと早く連絡しておくべきだったと反省する。


しかし、ここからが酷い有り様だった。飛び出した日が悪く、ハローワークが開くのが三日後の週明けで、求人情報紙も軒並み取り去られた後。例え三日何とか凌いだ所で、仕事は一朝一夕には入らない事を考えれば、五百円では餓死までは行かずとも、まともな仕事に就ける風体ではないだろう。彼女がネット求人で日雇いの口を調べて来てくれていたし、意思の上では何とかする気であったけれど、現実的な思考は、ここまで来てはみたものの、やはりどうにもなりそうにないな、と結論していた。求職活動には何かと物要りだのに、証明写真はおろか、履歴書すら手に入れられそうになければ、印鑑だって持ってきていなかったのだから。
が、彼女は僕に日雇いの口入りクリアファイルを押し付けると、「私の安心入りだから」と口添えた。安心とは何ぞやと覗くと、プリントアウトした紙の間に大金が挟まっているではないか。いくら馬鹿な僕でも、これがどのようなお金で、何のためのお金なのかは理解出来る。最初はなんとしてもそのまま返そうと思ったのだけれど、何のためのお金か――そのもう少し先を考えて、受け取る事にした。
こんな有り様の僕を、まだ彼女は信じてくれている。だから。