友人はいつの間にか居なくなった。入れ替わりに母の旧知の友人がやって来る。僕のおしめを替えたこともある、いわば二人目の母だ。

僕は失敗した。この体力では逃げきれないだろう。ここで死ぬのを試みた所で結果は見えている。飛び降りて死ねる高さではないし、首を掻き切るにも、あの包丁はプレゼントされたものだ。そんなので死ぬわけにはいかない。それだけは嫌だ。
半ば茫然とした僕を見て察したのだろう。しかし、口をついて出るのは、さっきまで聞かされていた言葉の表現を変えたものでしかない。
「そんなことは、分かってる」
掠れた声で返すのへ、
「本当に分かってないから言っている。分かるまで何度でも言うよ」
と、分かってないのはどっちだよと言いたくなる返事。
おまけに保険屋だから、うつで死ぬ人間は沢山見てきた云々と続く。調査で見聞きした話とやらを講釈される。
知ったことか、と言ってやりたかった。それらは僕じゃない。病気だと決めつけて、納得するのはあなたらで僕じゃない。
何とでも言えるのだろう、何せ「彼ら」は死んでるのだから。書類の死因欄にどう書かれるかなんて、死んだ後には関係ない。遺族の言葉がどれほどのものか、今この場にいるのに理解もしない。それもそうだ、全ては死んだ「彼ら」が持ち去ってしまった。「本当に分かっている」なら、「彼ら」は救えたんじゃないのか。
死因の欄に、ゼロが入ることはなかったんじゃないのか。