とある方の「ニュースがない。再掲するか」と言うフレーズで思い出した。
ニュースサイトにおける「再掲」の起源はさすがに分からないが、この「再掲」は「ニュースがないから」と言う理由で行われる以上に、恐らく重要だ。
まず、これを読んでいるあなた方はニュースサイトは普段どのように見るだろうか。恐らく殆どの人が、行きつけのニュースサイトを2、3持ち、毎日か、数日おきかは知らないが、ともかく定期的に見ている事だろう*1。では、その中で、「サイト開設後、相当経ってから見始めた」人かつ、「そのサイトのニュースログをすべて見た」人は、一体どれほど居るだろうか。恐らくは、殆どの人が「途中から見始め」、「過去ログは見ていない」のではないだろうか。
1年以上前に他ニュースサイトで取り上げられたニュースが、今頃になってとあるニュースサイトに「全く新しい情報」として取り上げられ、今では一般化したニュースサイト郡の繋がりで圧倒的な速さで広まる……と言うことが、往々にして起こることがある。これは先日書いた事にもあるように、「歴史のループ」であるとも言えるのではないだろうか。
つまり、「昔過ぎるために読まれない過去ログ」が、「途中からやってきた人」にとっては、知られていない「新しい歴史」となるわけである。ここで、「再掲」が重要な意味を持ち始めるのだ。
僕が「再掲」を初めて見たのは、俺ニュースだった。俺ニュースは、膨大な日々の更新に加えて「再掲」をしていたが、僕もご多分に漏れず「昔過ぎるニュース」であるために、過去ログを読んでいなかったので、「再掲」と題された「新しいニュース」に心躍らせていたものだった。そう、必ずしも「古い情報」だからと言って、すべての閲覧者にとって「古い」訳ではない。そこが「再掲」の意義であり、また有効性でもある。
しかし、その労力故か、記事毎に少し「再掲」をするサイトはあるものの、何かの記念日などにまとめて関連記事を「再掲」するサイトは殆ど見受けられなくなってしまった。「再掲」の苦労を思えば、確かに僕も暗澹たる気分にはなる。が、閲覧者にとっては非常に意味のある行為でもあることは確かだ。
そんな訳で、僕は「再掲」の文化*2の重要性をここに説き、多くのニュースサイト管理人に知ってもらいたい。
しかし、僕が実践するかどうかは、それはまた別の問題であることもここに書いておく。つまり、面倒くさい。

*1:ニュースサイト管理人ともなると全く異なるであろうが、ここでは閲覧者側のみと言う事で省かせてもらう。

*2:と言うほど大それたものではないかもしれないが